2014年11月17日月曜日

雑記<初心忘るべからず>

鹿児島でフリーになって2年。
上司も同僚もいないたったひとりのフリーランス。

初めはまた取材をしたり原稿を書いたりできることが、ただただうれしくて、何はなくとも高いモチベーションをキープできていた。けれども、ひとりで原稿を書いていると迷ったり、困ったりしても当然ながら相談する相手がいない。書き終えた原稿をチェックして赤字を入れてくれる人もいない。全部ひとり。ときどき、単純にさみしいなあとも思う。(これはフリーランスの宿命でもある。ひとりのさみしさに耐えられず会社に戻る人もいるほどだ)

しかも海辺の小さな町に引っ越してからというもの、取材に出向くことは減り、資料からの書き起こしや電話取材から原稿を執筆することが多くなった。故に、仕事をしているのに直接人と関わることが必然的に少なくなっていったのである。

無論、自由な時間は増えた。
仕事の合間に家事をすることも可能だし、原稿を効率よく書ければ自分次第でいつだって遊びに行くことができる。会社に勤めていたらこうはいかない。だから、パソコンとネット環境と電話さえあれば、いつでもどこでも仕事ができることは本当にありがたい。

しかしながらフリーランスが置かれている立場は厳しい。当たり前のことだが、納品した原稿がダメなら次からは仕事が来ないし、なぜダメだったのかなんて誰も教えてくれない。一案件ごとが勝負だ。(本当は勝ち負けじゃないんだけど。気合いの意味で)

今日、ひとりのディレクターにふたつの原稿を送った。
一通目のメールの返信には「なにもかも完璧です!」とあった。(ヤッター!)二通目のメールには「これまた理想的な原稿でございました」と書いてある。(イェーイ!)

彼はとてもとても仕事のできる人なので、外注ライターである私のモチベーションを下げないために“盛り盛り”でそう書いてくれたのかもしれない。それでもうれしい。なんならホッとして涙が出そうなくらい。

私は取材をするのが好き。書くことが好き。

編集やライターとしてやるべきことや考えるべきことは、ほかにも多々あるのだけれど、まずは「好き!」の部分を大切にしたい。初心忘るべからず!




2014年11月8日土曜日

雑記<好きな数字のこと>

好きな数字は「5」。
これは昔からで、おそらく誕生月が5月だからだと思う。(我ながら単純)

いま私は「33」歳なんだけれど、気分は33歳になった瞬間からなぜか「34」歳なんだよね。今年の誕生日の友人からのメッセージに“ゾロ目だね”なんてあったけれど、ゾロ目はわりと好き。けれど、「22」歳のゾロ目は気に入っていたけど、「33」歳のゾロ目は全然しっくりこない。だから早く「34」歳になりたいなあと思っている。

夫は「5」の倍数に頭の中や感覚を侵略されている。
テレビやコンポの音量が「5」の倍数でないと気持ちが悪いらしい。私がひとり暮らしをしていたころ、部屋のサイズに対してテレビの音は「12」がちょうどよかったのだけど、気づくと「10」か「15」に変えられていた。朝、何気なくテレビをつけて音量が「10」だと音が小さすぎて聞き取りにくかったし、「15」だと大きすぎてびっくりするのである。それに映画のDVDを観るときに「18」までボリュームを上げたら、“「20」にしてよ”などと言うので少し面倒くさい。

私は「5」が好きだし、「5」の倍数も嫌いじゃない。でも、生活に差し障るならば「5」でなくても、「5」の倍数でもまったく構わない。ただ、「33」歳より「34」歳になりたいことや、「22」歳のゾロ目は気に入っていたことを考えると、偶数はわりと好きなんだと思う。

誰かに話したらきっと「ふ~ん」とか「へぇ~」とか、そんなリアクションなんだろうけれど、数字にまつわる好みやちょっとしたこだわりって意外とみんなもっているんだよね。最初は薄ぅ~い反応だけど、話し始めたら案外盛り上がる、的な。

ちなみに、好きなアルファベットは「Y」だよ。「Y」amashita 「Y」oshimiだから。




2014年11月2日日曜日

ナガオくんとの出会い

幼い頃からつきあってきたアトピー性皮膚炎が30を過ぎて急激に悪化し、日常生活がままならない時期もあって、ここ数年あれやこれやと治療法を模索してきた。食生活や生活習慣、環境を整えることはもちろんだが、心身の健康を突き詰めていくと、結局スピリチュアルに向くことがわかった。(正確にはわかった、というよりも、そのようだ、という感じ)

元来、スピリチュアルや占いが苦手で、そういったものを日常に取り入れることはなかった。もっとも、水回りはキレイにしようとか、玄関はすっきりさせておいた方がいいとか、そういうことは母からの教えとして聞くことはあったが、占いに関しては自分がライターとして原稿を執筆する機会も多く、気持ちが近づくことはなかったのだ。

前回のブログ記事「長崎・福岡忘備録」でも少し触れた四次元パーラーあんでるせん。ここのマスターはマジックなのか超能力なのか、まったく理屈がわからぬショーを見せてくれた。タネも仕掛けもありません!というマジックなのか、はたまたマスター自身がもつ力なのか…。それはショーを間近で見ていても全然わからないのだが、そんなことはもはやどちらでもいい。“世の中にはすごい人がいるもんだ!”という考え方が一番しっくりくる。

あんでるせんのショーを見てから一週間も経たぬうちに、私が暮らす海辺の小さな町ですごい人に出会った。先々週末に薩摩川内市西方町にあるチアフルマーク海の家・ミチヨ食堂/ロクタン食堂にて開催されたイベント「トラットリア・ロクタン」にコーヒーワークショップの講師として招かれた名古屋在住のバリスタであり、マッサージ師(?)のナガオくんである。(マッサージ師、という肩書きが正確であるかは未だ謎)

偶然にも同じ歳のナガオくんだが、彼の施術を受けたこれまた同じ歳の友人・みっちゃんは思わず「先生」と呼んでいた。彼はマッサージでクライアントに触れ、その人と意識を一体化し、心身の不調を言い当て、日常生活で心がけるべきアドバイスをくれる。話を聞くと、彼の学んできたものはカイロプラクティックの技術と東洋医学の五行を併せたものらしい。彼はこの施術を「セッション」と呼んでいた。(文章にすると簡単だが、内容は相当なものである)

私は子どものころから肩コリなうえ、ヘルニア一歩手前の腰痛もちでもある。加えて、仕事が立て込むと動かすのが困難なほどに首が痛くなることもあり、マッサージ屋さんや整骨院には日ごろからお世話になっている。けれども、気功を使用した施術には甚だ懐疑的であった。とどのつまり、効いてない!という実感からである。

しかし、ナガオくんの施術を受けた人を見ていると、まあ不思議。たった20~30分の施術でまるで別人のような顔つきになっているのだ。そばで見ていると寝てしまう人も大勢いたが、だいたいの人が「動けない、動きたくない」といった魂が抜かれたような表情でぼんやりとしていた。

これは一体どういうことなんだろうか、という興味と、腰痛がよくなりますように、という思いとともに私も施術を受けた。なるべくリラックスした気持ちで身を委ねていると、どんどん体が熱くなっていく。営業中の食堂のにぎやかな声がだんだんと聞こえなくなっていった…。施術中の感覚は人によって異なるようで、友人のあおいちゃんは「森。大きな木。とてもドキドキしていた」と話した。

施術が終わると近くで見ていた夫が興奮気味に「どうなってるの! どうやっているの?」とナガオくんに声をかけた。そして、前述した方法を教えてくれたのである。それを聞いて夫は彼に「光の子だね」と言った。(ナガオくんの話は、本当はもっと具体的でていねいなものであったが、私もボーっとしていたのですべてを理解することができなかった)。ちなみに、夫は極度の人見知りであり、通常初対面の人には無意識的に無愛想なのだが、興味や好奇心を掻き立てられた相手には、異常に馴れ馴れしい!

それから、ナガオくんは私の腰痛の原因を説明した。それは、私の性格やこの三年半の間に考え続けてきたこと、この夏の気づき、ここ一週間に思っていたこと、それらのすべてだったのである。その日初めて会った彼が知る由もないことを施術、セッションによって言い当てた。しかも、最後の数分間は私の体に触れることなく、座禅を組み、瞑想のようなもので行ったのである。

びっくり仰天とはまさにこのことで、日々の鍛錬によってこのような力を習得できるなど、これまでの私の世界にはなく、にわかには信じがたかった。そして、その日の夜はナガオくんに興味津々の夫とともに、あれこれ彼と話をしたのである。それはとても素晴らしい夜、鹿児島弁で言う“よか晩”であった。

翌日も朝イチに食堂を訪れると、彼は座禅を組み、瞑想のようなものを行っていた。その雰囲気に声がかけられず、私は外のベンチに座った。しばらくすると私がそこにいることがわかっていたのか、彼は隣りにすっと座り、朝のあいさつをした後こう言った。「大変な旦那さんと結婚しましたね」。うぐぐ。実はよく言われる。どちらかと言うと、とんでもない系の人からよく言われる。(とんでもない系の人とは、あくまでも良い意味で、である)

再び、彼の施術を受ける。前日よりさらにリラックスしようと心がけた。すると、なんだか体が宙に浮いているような感覚になる。どのくらい時間が経っただろうか。施術が終わると、彼は私の体の不調について前日より一歩踏み込んだアドバイスをしてくれた。一つひとつ言葉を選んで、適切で思いやりのある表現で…。

翌日、夫とあらためて話し合った。体のこと、心のこと、今のこと、未来のこと…。この数年間、ずっと考えてきたことが、ひとつクリアになった。目に見えるものは真実であるが、目に映らないものにこそ真理が宿っていることがよくわかる。私たちは目に見えぬ本当に大切なものを見失ってはならないのだ。