2016年9月16日金曜日

忘れていた無になる時間

東京で暮らしていたころ、仕事が忙しくて「無」になる時間がなかった。たくさんの人や情報のなかで慌ただしく暮らし、それでも足りない何かを埋めるかのように毎日予定を入れる。スケジュール帳が文字でいっぱいになると安心した。思い返せば20代はずっとそんな感じだった。

あるとき、アクセサリーづくりにハマった。仕事をしていてもはやく家に帰ってアクセサリーをつくりたくてたまらなかった。会社帰りにはパーツ屋さんに寄って、お店の人にあれこれ質問しつつ、つくりたいモノのイメージを膨らませては足取り軽く帰宅し、夜な夜なアクセサリー制作に勤しむ日々。私が初めて経験した「無」の時間ーー。没頭するとはこのことか、とその感覚をも楽しんだ。

鹿児島へ移住してからもしばらく続けていたアクセサリー制作だったが、世の中のハンドメイドブームとともやめた。パーツを組み合わせるだけの制作がだんだんとつまらなくなったから。そして売るためには同じ物をいくつもつくらなければならない、というのもなんだかね。とかなんとか書いてみたが、とどのつまり飽きたのだ。

今日、薩摩川内市西方町のとりこ家さんのさとちゃんから「真鍮バングルのワークショップがあるよ」と声をかけていただいた。少し前から気になっていた真鍮のアクセサリー。あれこれ考えず行ってみることにした。ワークショップでは、すでに細くカットされた真鍮を金づちで叩き、デコボコとした模様をつける。内側には好きな文字を刻印。そして手首に合わせてカーブさせて完成! というとものの10分、15分ほどでできそうだが、実際には先生に手直ししてもらいつつ2時間以上も作業をした。

ハッとした! 真鍮を金づちで叩いているとき、私は「無」になっていた。真鍮が薄くなりすぎないように、でもデコボコがしっかりつくように意識を集中させて叩く。金づちが真鍮に触れるたびに鳴り響く“トントントン”という音も心地よかった。曲がってしまった真鍮を金づちで叩いてまっすぐに整える。刻印する文字を考えて、一文字ずつ打ち込む。力加減、文字のバランス、言葉への想いーー。いろいろなことを考えているようで、それでいて考えていなくて、ただただ手を動かす。

「無」になる時間。あーこれこれ。この感じ気持ちいい。