2016年9月17日土曜日

母親という生きもの

昨年の夏に息子を出産してから私の日常は一変した。望んで望んで授かったわが子。かわいいに決まっている。が、しかし、正直、覚悟していた以上に生まれてからの数カ月は大変だった。

産後、感動とドキドキとワクワクと、カラダのあちこちの痛みとでぐわんぐわんしている最中、初めて息子がう○ちをしたときのこと。(お食事中の方がご覧になっていたらごめんなさいね)。岩のりみたいな黒い物体がおしりにこびりついていた。ぎこちない手つきでおしりふきシートを使って拭くのだが、拭けども拭けども汚れが取れない。思わず隣りで見てくれていた助産師さんに聞く。「これってどの程度拭くんですかね?」。するとこれ以上ないくらいにキッパリ、ハッキリと「全部です!」と助産師さん。

今となっては情けない話だと思うが、そのやり取りで“わが子のことはすべて私がやる”のだと気づかされたのだった。おっぱいも、おむつ替えも、着替えも、あやすことも、全部。文字通り、全部。

私の夫は俗にいうイクメンである。(イクメンという言葉は気に障るけれども)。1歳を過ぎた息子に対し、今では授乳以外のすべての面倒をみる。ほかのお母さんたちの話を聞いている感じだと、多くのお父さんたちの2倍、いやいや5倍、もしかすると10倍くらいは育児にかかわっているかもしれない。

健診の日はお休みをとって同行し、病院へ行くものだいたい一緒に来てくれる。日常でも朝の出勤前までは夫が息子の世話をし、夕方以降、私が家事をしている間はずっと息子の相手をしてくれる。さらに私が取材で家を空ける日は、一日中子どもの面倒をみることも。

そして、方々で言われるのだ。「いいパパね」「なかなか病院まで一緒に来てくれるパパはいないよ。感謝しないとね」「素敵な旦那さんつかまえたわね」などなど。とにかく育児に参加することで、夫はほめられまくっている。

はて? お母さんは子どものお世話を全部するのが当たり前で、お父さんがするとほめられる。なにそれ? である。念のため書いておくが、私も夫もほめられたくて育児をしているわけではない。私たちは息子がかわいくて仕方ないし、初めての子育てをとても楽しんでいる。ただ、それでもときどき大変に思うことはあるのだけれど。にしても不公平じゃないか。お父さんだけほめられるなんてさ。

先月、保育園主催の子育て支援センターのお誕生日会に参加した。8月生まれの息子はまだわけがわかっていなかったが、みなさんに「おめでとう!」と祝っていただいた。そして主任の先生がみなさんの前で私にこう言ったのである。「いつも子育てを頑張ってらっしゃると思います。お子さん、とてもいい子に育ってますね。子育ては大変だと思いますが、これからも頑張ってくださいね」と。そんなつもりはなかったのだが、ふいにかけられた言葉にウルウルしてしまった。

自ら望んで生んだ子ども。頑張って育てるのは当たり前だけれど、それでも労われることで救われた。仕事だったら「お疲れ様です」「ありがとうございました」とか、「いい記事でした」とかなんとか、なにかと言葉をかけていただける機会はあるのだが、子育てはそれがほとんどない。無論、夫は私を労ってくれるのだけれど、そうじゃなくて第三者からの声かけというのがポイントかもしれない。

近くに子育てを頑張っているお母さんがいたら、子どもにだけではなくてお母さんにも声をかけてほしい。きっと、そのひと言でお母さんはもっともっと頑張れる。
母親とはそういう生きものだと思う。